存在感について
私の得意技は、「存在感を消す」ということだ。
子供の頃から、ここぞという時には、周りの風景に溶け込むように、息を殺し、「私は空気」と思ってじっとしていた。
効果は絶大で、近くに嫌な人がいても、私には全く気づかずに通り過ぎていった。
しかし、この得意技は、時に必要以上の働きもした。
みんなといるのに、相手にされない。
誰も私には何も聞いてくれない。
まるで私はこの場にいないように。
身から出たサビなのだろうが、やはり寂しかった。
友達の集まりの中でなら、まだ我慢できた。会話の中に飛び込んでいくこともできたから。
けれど、好きな人がいる集まりの中でもそうした雰囲気になってしまった時は辛かった。
気を遣いすぎて何も言葉を発することができなかったからだ。
空気が読めない女だと思われて嫌われたくない。
本当は私に向けて言葉を発して欲しかったのに、ただそばで笑って頷いていることしかできなかった。
全くもって存在感がなかった。
いてもいなくてもいいくらいだった。
ただ笑顔で頷いていたが、内心はこっちを見て、私にも話しかけて、私の存在に気づいてよ!と思っていた。
その時の会話の内容が、私には合わなかったからだが、そんな話はやめて、もっと楽しいこと話そうよとは言えなかった。
なぜ言えなかったのか?
空気の読めない女と思われて嫌われるのが怖かった。
楽しい話ししてよ、なんて言ったら優等生みたいで煙たがられると思った。
だから、その場の空気を読んで話の内容に合わせるか、それが嫌なら黙っているしかなかった。
そんなことばかりしていたら、存在感が無くなってた。
今ならわかる。
あの時、嫌われるのが怖くて、鬱陶しがられるのが怖くて何も言えなかったからだが、ずっと愛してもらい続けるためには、こうするのが懸命だと思ってた。
だけど本当は、
「そんなネガティブな話しはやめてよ、もっと楽しい話ししようよ」
「もっと私の話を聞いてよ」
と言いたかった。
気を遣わずに何でも話せるそんな関係性が欲しかった。
言い換えればそれは、ありのままの私で存在してもいいという許可が欲しかったのだ。
今、私はありのままの自分を受け入れる練習をしている。
自分の存在感を自分で認めるために。
いてもいなくてもいい、そんな風に思われるのはもうたくさんだ。
だけれど、誰かに私の存在を認めてもらうために、必死でアピールする必要なんていらない。
私が私の存在を認める。
私が私を受け止める。
私が私を愛していればそれでいいじゃないか。
最近やっと、そう思えるようになってきたのだ。
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