無い袖は振れない

奇跡のコースのワークの中にこんな一文がある。

「私が与えるものはすべて私自身に与えられます」

この言葉を読んで、だったら私には何も与えられないな…と思った。

欲しいんだったら、まず私から与えなさいってことでしょ?

そりゃ、無理だわ。

だって、無い袖は振れないもの。

愛、喜び、感謝、情熱、希望、健康、豊かさ、安らぎ…

ん?待てよ?本当に無い袖なのか?

私は奇跡のコースや引き寄せの法則の勉強以外にも、色々な人の動画音声も聞く。

そのほとんどは、愛とは?情熱とは?

豊かさとは?健康でいるためには?とか、感謝しなさい、希望を持ちなさい、安らぎを感じなさい、とか、この感情やこの状態はこういうものだ!という説明チックなものばかりを聴いていた。

だからなのか、愛や喜び、豊かさとは、こういうものであるはずだ!と思い込んでいたかもしれない。

もちろん、その音声動画の方のお話は、過去の偉人たちの話であって、とても的を得ており、スピリチュアル的にも、心理学的にも、大変勉強になり、腑に落ちるものばかりだ。

だけど、あまりにも聴きすぎて、これはこういうものだ!という固定観念が出来上がっていたかもしれない。

本当は、私の中にもすでにたくさんの愛や感謝、喜びが備わっているのではないかと思ったのだ。

それはずっとそこに備わっていたから、あまりにも当たり前のようになってしまっていて、自分でも気づかない。

私オリジナルの愛、オリジナルの喜び、オリジナルの感謝、オリジナルの豊かさ…。

もう、気づかないうちに周りに与えているのではないか?

だけど、誰からもフィードバックされないだけで、与えていることに気づいてないだけかも?

愛とは、喜びとは、情熱とは…、それらは結局、形の無いもの。こういうものだって決めつけられるものではないのかもしれない。

もっとおおらかで、もっと気楽で、もっとオリジナルなものでいいのかもしれない。

だって、私はここまで生きてこられたんだもの。

知らないうちに誰かを傷つけたかもしれない。誰かに恨まれてるかもしれない。

けれど、宇宙はそんな私をここまで生かしてくれた。

何の不自由もなく、健康で、恵まれている。

私には与えるものなんて何も無いと思ってたけど、宇宙はそんな私を、愛してくれて、感謝してくれて、喜んでくれている。

だから、私は袖の無い着物ではなくて、実は大振り袖を着ていたのかもしれないと、そう思った。