ゆるしは救いの第一歩

奇跡のコースの中にこんな一文があった。

「私が犯したすべての過ちに関して世界をゆるすことです」

最初は「?」と思った。

私が犯した過ちを世界に許してもらうのならわかる。

世界が私に行ってきた過ちを私が許すならわかる。

なのになぜ「私が犯した過ちに関して私が世界をゆるす」なんだ?

世界は私を傷つける所だ。

だから世界は(世の中と呼んでもいい)敵ばかりだ。

なのでこれ以上傷つけられないように、闘わなければならない。

でもこの信念は、あまりにも自分を生きにくくさせる。

じゃあもし、この世界は傷つけるような場所ではないとしたら?

いや、だとしたら、どうして私はこんなにも傷ついてきたのか?

そんなの納得できる訳がない。

ならば、お互い傷つけ合うのは不可避だとして、この「傷つけ合う」ことを受け入れるとしたらどう?

戦争やイジメなどは、故意に相手を傷つけようとする行為。

だけど、私たちは故意にではなく、うっかり傷つけてしまうのだ。

いやいや、うっかりで傷つけられたなんて、たまったもんじゃないよ。

だったらこう思うことにする。

だからこそ、私たちは学ぶのだ。

そして気づくのだ。

これ以上相手を、そして自分を傷つけないようにするために、相手の気持ちを想像して理解しようとするのだ。

それしかできない。

それでも、うっかりして相手を傷つけてしまうかもしれないし、相手もまだそこまで学べてなくて、うっかり私を傷つけてしまうかもしれない。

けれど、それを、ゆるす。

相手を傷つけないように学ぶ。

逆に言えば、学ぶために傷つけ傷つけられる。

それを受け入れる。

愛を学ぶとは、そういうものなんだと受け入れることが、「ゆるし」ということなのではないだろうか?

自分を含めたこの世界を、こういうものなんだと受け入れることが、ゆるしであり、それが救いの第一歩目なのかもしれない。